2017年03月31日

清濁併せ持つジャーナリズムとは?

清濁併せ持つジャーナリズムとは?

日頃メディア批判というより、昔ジャーナリズムという職業に憧れた者として

「どうしたメディア!今頑張らないでいつ頑張るのだ!!」

との想いでブログを書いています。

しかし、かといって全て100%白日の下に晒す事が本当に良いのか、出来るのかと考えますと幾分引っかかることもあり、それに少し違うような気持ちもあり、今日のタイトルにしました。

AI技術が驚異的な発展をしつつあり、いつの日か人間の仕事を奪う、という話が最近よく話題になります。

オックスフォード大学の12のリスクと言う未来予測には、いずれ映画ターミネーターの世界が現実になる、としているようです。

もちろん以前このブログでも紹介しました➡2100年の科学ライフの著者ミチオ・カク氏も同様に予測していました。

ですから、ポジティブに考えれば、

「機械に出来ることは機械に任せ、人間にしか出来ないことをやる」
と言う世界が待っているのかも知れません。

では人間しか出来ない事とは何なのでしょう?

ファジーと言いますか、ある種曖昧な世界と言うことなのだと思います。

確かに人間でもあまり頭でっかちになるとどうも人間味と言いますか、無味乾燥といいますか、暖かみがなくなります。

ようは社会にとってあまり摩擦がなく、スムーズに運営されるためには、あまり杓子定規ではない人間関係が重要なのだと思えるのです。

杓子定規って?なぷんぷん

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話がずれました。

書きたいと思っていたことは、社会にとって重要な政策や法律など、基本的に公性の高い事柄については、矢張りメディアにはできるだけ真実、事実を明らかにして欲しいという気持ちが高いのです。

特に、国民が何かを決断しなければいけない時、つまり選挙や最高裁判所の裁判官の国民審査などでは、自分で判断が出来る材料がありません。

ですから、このような話題については、権力サイドに忖度せずシビアにまた客観的な判断ができるようなニュースを流してほしいとの気持ちが強くあります。

一方で取材対象からしっかりとした情報を入手するには、時と場合によっては、きれいごとばかりではなく、相手と貸し借りといいますか懐に入る必要があるのだと思います。

今回の大阪・森友学園に関して、初めは取材者として籠池氏を批判していたジャーナリストの菅野氏が、相手の懐に飛び込み、独占取材と対外的な広報パーソンというポジションを獲得したのがいい例だと思います。

どちらにしても以前も書きましたが夏目漱石の
「情に棹をさせば流される、理に働けば角が立つ、とかくこの世は住み難い」
がこの世の宿命なのですね。

しかし、公に関わる人達はやはり一般国民よりも当然大きな責任がありますから、プレッシャーも大きく大変でしょうが、ただそれゆえに尊いのだと思います。

一方取材対象との丁々発止の関係を維持するメディアもこれはこれで大変で、それがゆえに、やはり我々は彼等ジャーナリストを信頼し尊敬するのだと思います。

ところが、今回の東西横綱級の事件である豊・豊問題で浮かび上がってきた、政治家や役人とメディアが寿司友とか言われ、ミイラ取りがミイラになってしまっています。

大手メディアの権力サイドとのこの様な、なあなあであることが喧伝されているにつけ、なんだかなあ、と思ってしまいます。
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posted by ぷんぷん at 11:53| Comment(0) | 権力とメディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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