2020年01月28日

三 百連壇(びゃくれんだん)の影?

三 百連壇の影?

唐、朝鮮や南蛮の国々との貿易によって栄えてきた長崎は、この頃は町人が自ら治める八十もの町がにぎわう、江戸幕府唯一の外国へ開かれた貿易都市となっていた。南蛮や唐の風俗がいたる所に見られ、なんともにぎやかな港町である。
あちらでは、唐人笛(チャルメラ)と銅鑼(ドラ)の音(ね)につつまれた唐人軽業一座の大道芸がくりひろげられ、こちらでは、南蛮の香りがするお菓子の屋台が軒を連ねている。

長崎・出島.png

お京と翔吉は、料理に使う薬餌(やくじ)の仕入れに来ていた。
取引が終わって日が傾き始める中、宿に帰るお京と翔吉は、唐人の女が取引相手の大黒屋の息子をからくり小屋に誘おうとしている光景に出くわした。

二人は、少し離れた店の軒下に目つきの冷たい男がいるのを目にした。

「もう遅いですから私たちがお店までお送りしましょう」
と、お京は男を無視して小腰をかがめ、大黒屋の息子を連れ帰った。

翔吉は、背なかに刺すような視線を感じた。

男たちが消えてしばらくすると、翔吉の長崎での片腕・竜平が現われ、耳うちして離れていった。

「あの冷たい目つきの男は、密入国してきた唐人裏稼業集団(チャイニーズマフィア)の長崎束ねをまかされている幹部だそうです。この組織は大店の子供をかどわかしているという噂がたっていますぜ」

息子を送っていくと大黒屋小兵衛は喜び、二人を奥座敷にまねき、

「近頃長崎でも、神隠しと言われながら子供たちが消えているので心配していたところです。お礼をしとうございます」
と、手に入るほどの丸い金属の道具を差し出した。

それは、近ごろ出島の阿蘭陀(オランダ)人商館長(カピタン)から大金で譲り受けた、径一寸五分(五センチメートル弱)ほどの懐中時計であった。ネジをまくと正確に時をきざむ最新式の物である。

出島は葡萄牙(ポルトガル)商人を管理する目的で、長崎湾に突きだして四千坪(約一三〇〇〇平方メートル)を埋めたてて作られた島である。今は、阿蘭陀東印度会社の商館がたち並んでいる。

この頃は、貿易管理のために、三人の長崎奉行が一年交代で江戸と長崎を行き来している。

大黒屋が差し出した時計を見たお京は、この機会に商館長と馴染みになっておこうと考えた。

「これは高価な物でございましょう、無料で頂くわけには…、お代として五十両をお受け頂きとうございます。それと厚かましゅうございますが、出島の商館長様にごあいさつさせて頂ければ嬉しいのですが」

「お安い御用です」


翌日、大黒屋小兵衛は商館長のヘンドリック・ディックマンと、商館付医官であるヨハネス・シックスに紹介した。二人とも唐語、日本語に堪能である。

ヘンドリックは五十くらいの、義侠に富む高潔な行政官である。

医官のヨハネス・シックスは陽気な二十四、五の男である。新聞記者の兄、フレデリック・シックスの捜索も兼ねて出島の医官を希望したとのことである。
新聞記者であるフレデリックは東亜細亜事情をしらべるためにあちこち取材旅行していたが、一年まえから失踪しているそうだ。


二日後の夕刻、竜平がさらに調べたことを報告した。
江戸幕府は今年、長崎の町なかに九千四百坪(約三一〇〇〇三平方メートル)の土地を囲って唐人屋敷を作った。そのとき翔吉は唐人屋敷の長として配下の長老を送りこみ、唐人屋敷内はもちろん、清国と行き来する唐商人までも傘下にしていたのだが、これにもれる集団があったらしい。

その名を、『百連壇(びゃくれんだん)』と言うそうな…。

素性ははっきりしないが、金もうけのためには密貿易や麻薬売買に手を出すことも平気な輩と言われていた。

「連中の仲間をチョイとおどして、あいつらが仲間の印にしている細工を手に入れましたぜ。持ち主は今頃竜宮城で魚の餌になってる頃で…」
と細長い一分(いちぶ)銀ほどの大きさの銅細工を懐からとり出して、翔吉にわたした。

一連の出来事が気になった翔吉は文を認(したた)め、翌朝、小さな竹管を足につけた伝書鳩を空に放った。

江戸の善八はその文を読むと、宗兵衛にわたした。
四角い小物の絵が、材質・色・寸法付きで詳しく描かれてあった。
宗兵衛がつぶやいた。

「あの根付と同じ物が長崎にも…」
「ウム…銅で作られているようだが、形や寸法は太助が持ち帰った物と同じだ。江戸と長崎に、根が一つの百連壇とかいう唐人犯罪者たちが潜りこんでいるらしい…」

続く
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2020年01月21日

二 土左衛門と天九牌?

二 土左衛門と天九牌?


もうすぐ三月になろうという日の早朝のことである。

焼酎を飲みすぎた行者は朝の風を受けようと、ペタペタと冷や飯草履の音をたてながら、日本橋久松町あたりの掘割にそった通りをチドリアシでフラフラ散歩していた。

「ファーっ」
と伸びをした頃、東の空が明らんできて、藍色から茜色に天空を染めた朝焼けが広まってきた。

その壮大な光景に感動した行者は、腰に手を当てて仰ぎ見ていた。
そして背を反(そ)らし過ぎて気分が悪くなり…、

「ウッ」
と、掘割(ほりわり)にかかる千鳥橋からゲロを吐いていたところ、身を乗り出しすぎて落っこちてしまった。行者は泳げない。

「ヒイッ、助けてぇ…、ゲボッ」

その声に近くで鰻とりをしていた清四(せいじ)という子が気づいて、達者な泳ぎで助けあげて背中をさすって水をはき出させた。ついでに行者は、黄色い水を大量にはき出した…。

「フーッあやうく土左衛門になるところだったわい、ありがとうよ」

「爺ちゃん身投げなんかしちゃいけないぜ。何があったのか知らないけど、生きてりゃきっといいことがあるから。家まで送って行ってやるよ」
と、行者を仕世堂まで送ってきたのだった。

善八は、太助と同じ長屋の十歳になる清四を見知っていて、

「おや、なんかあったのかい」

「なんでもないよ、この爺ちゃんに道を聞かれて友達になったんだ。ボケたのかなんだか知らないけど、道に迷ったってんで連れてきただけさ。じゃあね」
と、手をふって帰っていった。

ひとに優しくしてもらったことがない行者は、

(清四君か。勘違いには複雑な気分だが…、それにしても優しい子だの、気に入った。友達と言ってくれた…嬉しい!)
と、涙がにじんだ目で、いつまでもその後姿を見ているのだった。

その数日後のこと、清四が鰻とりに行って帰ってこないという。
父親は亀吉という魚の棒手振(ぼてふ)り(天秤担ぎの小売商)なのだが、最近は、生類憐みの令のあおりを食らってさっぱり売上が落ちている。
それを見ている清四は、少しでも家計の足しになるようにと、日々鰻とりに出かけ、貝穀屋に買い取ってもらっていたのだ。

太助は、亀吉と一緒に探しに行った。

河岸からさしかかる柳の枝の影のなか、岸ぎわの一尺(約三〇センチメートル)ほどの深さの河底に白い物が落ちているのに気づいた。

「象牙の根付(ねつけ)か…、あまり見ない形だが。ま、何かの手がかりになるかも知れねえや、持ってかえるか」
と、手ぬぐいに包んでふところに納めた。

その太助の動きを、半町ほど離れた場所の屋根船の中からじっと見つめるきれ長の冷たい目があった。


「土左衛門(どざえもん)だ!」


南町奉行所の定廻り同心、大月謙次郎(おおつきけんじろう)が使う御用聞きの晋左のもとに、隅田川にかかる永久橋近くの杭にひっかかっていた水死体の届けがあった。晋左は手下を謙次郎の屋敷に走らせた。

杭に顔をぶつけたのか、人相がはっきりとは判別できなかったが、項(うなじ)に蚊に刺されたような痕跡があるのに気づいた。

「なんだこの痕(あと)は?」

謙次郎は、奉行所出入りの町医師・慶順(けいじゅん)に検死してもらうことにした。

慶順は、口からもれてきた大量の水を凝視し、次いでにおいをかいでいたが、

「これは井戸水じゃ。盆の窪の傷は鍼のあとに似ているが、わしらが使う鍼の跡より大きいの…、これは唐鍼(からばり)によるものじゃな。
フム、井戸水をはった桶にでも押さえ付けられて水死させられたうえ、とどめに唐鍼を打ちこまれた、というところかの。それに、下帯(フンドシ)の付けかたや帯の巻きかたがどうも不自然じゃ、日本の着物に不慣れな者が着せたような塩梅じゃ…」
と、検死を終えた。

長崎で異国の知識を吸収している慶順は、当時の江戸では屈指の事情通である。
御用聞きはさっそく聞きこみを始めたが、土左衛門の身元もわからず、これといった情報もつかめなかった…。

検死の翌日、貝穀屋で昼飯を食べた後、出された茶を飲みながら慶順は、宗兵衛とのよもやま話に、土左衛門の一件を話し始めた。
慶順、謙次郎、そしてりふじん堂一党は、『理不尽を許さない』という共通の感情でむすばれ、お互いに協力している。そのため、捜査に関わることもある程度は開放的(オープン)に情報交換している。

唐針の話を聞いた宗兵衛が、太助が持ち帰った象牙の根付を見せて、

「先生は唐の事情にお詳しい。これは唐渡(からわた)りの物を、根付になおした物ではないでしょうか、おわかりになればお教え下さいますか」
との願いに、慶順はあちこちながめていたが、

「これは、天九牌(てんきゅうはい)じゃな。これを使った遊戯(あそび)は人びとが中毒するほどおもしろく、身の破滅をまねくということで、清国では禁止されていると聞いているが…」
と話して帰っていった。

天九牌.png

天九牌



天九牌とは、獣骨や象牙などで作られた四角い三十二枚の牌のことであり、寸法は縦二寸、横八分、厚さ四分(約・六センチメートル×二・五センチメートル×一・二センチメートル)ほどで、色んな賭けごとの遊戯につかわれる。
これらにはまると時を忘れてのめりこみ、身を滅ぼすといわれている。
続く
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2020年01月14日

第二章 不穏な陰 一やっちまったなあ綱吉…

第二章 不穏な陰



『小さな角』のつぶやき…


何だか、後の世にも繰り返し起きるような悪さがアチコチで起き始めたようだな…。
とりわけ、子供のかどわかしは目にあまる…。

親の悲嘆はもちろんだが、子供の夢多きこれからの人生が終わってしまうではないか!
異国の悪者も絡んでいるようだが…、これも政がデタラメなのが原因だということが分からんとは…、政に与(あずか)る者の頭をかち割って見てみたいもんだ!

このままでは、人々の優しさや労(いたわ)りの心を持つ余裕がなくなるのではないか…、心配だ。

あ奴の声はポッポッーと聞こえるが…、あ奴は『真正アホ』だ!



一 やっちまったなあ綱吉…


元禄八年二月初旬のことであった。

太助が、日本橋たもとの高札場に張りだされた政令『生類憐みの令』の追加事項をちびた筆で書き写している頃、中の蔵の外壁に新たな部屋の扉が浮き出てきたのであった。そして、その部屋の中から、
「ブッ…!ブブッ…!」
という音がして第三の部屋の扉が開き、みすぼらしい爺ぃが気絶しそうな足どりで、フラフラと倒れるように出てきた。猛烈なにおいと一緒に…。

庭の木々の枝で遊んでいた雀たちが、固まったまま四、五羽落下してきた…。

「あんた誰?そこで何してんの?それにしてもきたない爺さんだの…。それに猛烈にくさい!」

蔵に商売用の紙をとりにきた善八は、目を丸くしてたずねた。

「わしは大和葛城(かつらぎ)山で修行した、千年のものあいだ活躍する偉あい行者である役小角(えんのおずぬ)という者じゃ。何としばらくぶりにこの世に戻ったのじゃ。恐れいったか…」

「自分をほめる奴にろくな奴はいないもんだが…。あっ、ひとんちの蔵の壁に、かってに扉の落書きをしやがってこのやろう、これでもくらえ!」

まったく恐れいらない善八は、行者に拳(パンチ)をみまうふりをして、こらしめようとした。
もちろん相手がヨレヨレの爺さんなので、一刀流の達人である善八は、格好(ポーズ)をとっただけなのだが、それに気づかないほど水準(レベル)のひくい行者は、軽い足運び(フットワーク)で、

「フフフッ、軽いもんじゃ。なにせ、あの天上界の元中量級拳法王者(ボクシングライト級チャンピオン)堂上名魂岩松(リングネームガッツいわまつ)という異名を持つ弥勒菩薩と、千年にわたり鎬(しのぎ)を削るわしにはかなうまい…」
と嘯(うそぶ)いた。

石松 (002).png



あまりにのろいシュッシュッに、善八はアホらしくてため息…。

「とまれ、このままでは話が進まぬゆえ…ま、わしの部屋で談合しよう」
と、行者は勝ちほこったふうで、蔵の壁のへたくそな落書と思われた第三の部屋の扉をあけ、しばらく空気を入れ換えて蔵の中に入っていった。

背中合わせの二つの蔵の入口は両端に別々にもうけられていたが、奥の壁はからくり扉になっており、行き来ができるように工夫されている。

善八は、仕世堂(しせいどう)側の入り口から蔵の中に入り、からくり扉をくぐると貝穀屋(かいこくや)の蔵に出られることを確かめた。
にもかかわらず、外に出て蔵の壁に描かれた第三の扉の絵に行者が手をかけると扉が開き、まったく別の部屋に入ることができるのであった…。

蔵に入ると、
「このくらいのことは異空間隠遁(ひきこもり)の術を使えば朝飯前なのじゃ。わしは偉あい行者だからして!」
そして、りふじん堂一党への忠告と助言(アドバイス)を申し出た。

「表通りの貝穀屋と裏の仕世堂の面々が実は同志であり、チミたちが世のなかの理不尽なことを仕かける者たちをこらしめておることも知っておる。
チミたち、何か困っておることはないかの?この偉あい行者が相当に思慮ぶかい知恵と、超人的な術を貸して進(しん)ぜるが。いまの世で人びとが困っていることがあるはずじゃが…」
と問いかけた。

善八は、激しく疑わしい目で行者にたずねた。

「もしかして、千年も前に伊豆に流されたという、とてつもなく根性が悪く、かつセコい!といわれた役行者様ですか?一体、何が目当てでこの世に舞い戻ったんで?」

「なんにも…ン?『根性が悪い』と『セコい』は余計じゃ!これはわしと弥勒菩薩様の間でのとり決め事で、チミたちから何かを得るためにこの世に来たわけではないのじゃ!この世の中の理不尽をただすためにつかわされた、正義の使者なのじゃ!」

善八はご先祖の遺訓をやっと思い出した。

荘厳だの、天からつかわされただの、遺訓にあったことも覚えてはいたが、目の前にいる男はその見栄え(イメージ)からはほど遠く、おもわず正直に本心を口に出してしまったのだった…。


「親方、ただいま帰りました、大変なお触れが出てますぜ!」
店先で太助の声がした。
「ご公儀も何をトチ狂ったか、今度は公方様(徳川将軍)のご命ということで町民を追いたてて犬小屋を作り、野良犬を集めるっていうお触れが出ましたぜ!」

「太助、裏にまわってこい。その話を聞かせろ!」

徳川綱吉は元々は二十五万石館林(たてばやし)藩藩主であった。
兄の四代将軍家綱病死のあとをうけ、水戸藩主徳川光圀や老中堀田正俊などの強力な推挙により、延宝(えんぽう)八年(一六八〇年)、三十五歳で五代将軍として江戸城本丸に迎えられた。

将軍就位に反対した先の大老酒井忠清他を廃し、堀田正俊を大老に抜擢して積極的な将軍親政(しんせい)を開始した。

綱吉は、

「余は凡下(ぼんげ)(庶民)とは頭のできが違うのである。年をくっているだけの爺ぃたちがたばになっても余一人の頭脳には勝てないのである。自分が深く帰依し研鑽をつんでいる儒教や仏教を下々にひろめることで、飢饉や天変地異などもさけられて政はうまくいくのである。
何せ、余は神君・家康公の曾孫(そそん)(ひい孫)であり、天朝様(今上(きんじょう)天皇)を除けば最高の貴種であるからして。最高の貴種が何をやっても、凡下はありがたがって素直に従うべきなのである!」

というなんら根拠のないアホな確信をいだいていた。

一方で、家庭内制御にはそうとうに手こずっていた。

その行動基準は母親桂昌院(けいしょういん)(お玉)への孝行が第一であり、次に綱吉を軽蔑している正室信子と、信子をけとばして綱吉の寵愛を独占した側室お伝の機嫌をとることにあった。

言わば、できの悪い母親怖い(マザコン)親父が、家庭内離婚と馬鹿嫁制御という、ひどく気疲れのする二つの闘争(バトル)に日々苦闘しているのである。

見栄ばかりで生産能力が欠如している貴族出身の正室・信子と、生殖能力のみ旺盛な無教養な側室・お伝との角逐(せめぎ合い)になやまされる日々だったのだ…。

かたや、信子が公家鷹司(たかつかさ)家の姫である、都から同行した公家出身の側室・侍女勢力が結束している。

かたや、賭博の喧嘩で殺されるような愚劣な兄を持つ黒鍬者(くろくわもの)の娘であるお伝が、素性のハッキリしない桂昌院の支援を受けた勢力を作っている。

この両勢力の衝突を調整しながら、問題解決を先送りするのに大半の時間をついやす日々なのである。

やがて、綱吉は将軍としての現実政治から、しだいに遊離していったのである。

当時の文化人としての流行である尊皇思想にも傾倒していった。
そのため、国中あちこちで飢饉のため多くの民が難儀しているのに目もくれず、公家領を倍増したりする始末である。

将軍宣下(せんげ)をうけ、理想(マニフェスト)(のようなもの?)に燃えた政を行なうつもりが、現実に無知な綱吉は、一つとして自分の思いどおりにならないため、儒学や仏教に一層のめりこんでいった。

そして、どのように作られたのか不明の、母親桂昌院からのお小遣いと言っている毎年千両(約二億円)近くもの金を、訳のわからん公家などにばらまいて人気とりを行うのであった。職人や下級武士の年収が、十両(約二〇〇万円)から二十両程度の時代である、そのアホさかげんにはあいた口がふさがらないというほかなかった。

やがて目が泳ぎ始めた。
そして、子宝にめぐまれる効果があるという、あやしげな坊主の口車に簡単にのってしまい、軽薄な桂昌院とお伝を除いては誰一人望んでいない、余計なことをやってしまった。

貞享(じょうきょう)四年(一六八七年)、『生類憐みの令』の最初の触れが日本橋の高札場にはり出されたのである。

生類憐みの令は、もともとは生きとし生けるものに対する『友愛』の心を大事にせよ、とのつもりのものであった。したがって、最初に出された政令は殺生を禁止するという内容のみであった。

ただ、十分に吟味することなく、思いつき的に出される政令というものは、実際に適用されるときには役人により内容が歪曲され、庶民に対する影響は決まって難儀なものになると言う、普通の為政者(政治家)にとっては常識とも言えることに、綱吉はまったく思いおよばなかった。

そして、自分たちの縄張りを守り権益を拡大することを本能とするアホな役人は、いつの世にもいるものである。

その者たちはシャカリキで拡大解釈を行い、政令を押し進めていった。
時が経つにつれて取りしまりの対象や罰則が激化(エスカレート)していき、綱吉はすべての武士や庶民からうらまれることになったのである。

綱吉が丙戌(ひのえいぬ)年生まれであったために特に犬が保護され、犬を虐待する者はビシバシ取りしまられることとなった。

予想されたことではあるが、犬虐待をネタにした悪質ないやがらせやゆすりが、人びとを苦しめ始めた。
そして、綱吉自身も百匹の狆犬(ちん)をかっていたのだが、公儀でも八万匹もの野良犬を集めて餌を与えて保護するという、トンチンカン令を出したのである。

公儀お犬小屋をあちこちに設置すると、当然であるが地元では轟々の移設運動が起こった。

「最低でも朱引(しゅび)き外(江戸市域外)、できれば関八州外(江戸膝元地域外)、理想的には海をへだてた外様大名領(外国)に移す」

と空約束をしたが、お犬小屋が想定された土地の領主や農民、大名の反対にあい、結局そのままに置かれたままである。

一方で、全国各地で発生する飢饉は、とどまるところを知らず拡大していた。

冷害のために田畑や山林の物成りがないため、食べ物を鳥獣や魚に求めざるを得ないのにもかかわらず、それが許されない人びとは次々に餓死していった。

生き残っている者が餓死者の埋葬をしたくともその力もなく、遺体を餌食とする野犬や烏を追いはらうことも許されず…、まさに地獄ともいえる苦痛をしいられたのである。
飢饉のせいで、江戸でも米野菜の物価高騰のあおりをうける多くの人びとが困窮することになった。

この政令が出るまで東照神君(とうしょうしんくん)・家康公の生まれ変わりとまで言われていた綱吉の人気はガタ落ちとなった。

江戸の有力な大手読売屋(メジャーマスコミ)、一丁目屋(1チャンネル)・四丁目屋(4チャンネル)・五丁目屋(5チャンネル)・六丁目屋(6チャンネル)・七丁目屋(7チャンネル)・八丁目屋(8チャンネル)などの、将軍人気調べ(支持率調査)の結果が出た。

それによると、いままで歴代将軍のなかで最低といわれていた、あの先代の『そうせい様(唐の言葉をチョッと話せることを自慢していた、本当はかな文字だけの黄表紙(マンガ)を読む能力しかなかった先代)』よりも、人気率がさがったということである。

やがて『犬公方(いぬくぼう)』とあざけられるようになった。しかし本人は感じない…。

『犬耳東風(けんじとうふう)?』恐るべし!
「頼むから将軍(首相?)をやめてくれ」
「家康様系譜(与党保守本流グループ?)の将軍(首相?)擁立ができなくなる」
「外様大名(革新系野党グループ?)にとってかわられる」
と、徳川武士団(与党グループ?)からも、悲鳴が出る始末であった。

一度は、
「お城を出て政から離れる(バッジを外し政治から身を引く)」
と言ったにもかかわらず、どういう頭をしているのかすぐに忘れてしまった。

やがて、
「なんの成果も出ない口さきだけの約束を『ウソ』というのではないか!大ウソツキ将軍だ!」
と、人々の非難の嵐が吹きあれるのだが、当人だけは気づかず、

「人間、うそをコイてはいけません」
と少しも照れることなく言い放つ(アンタニダケハイワレタクナイ)のであった。

恐る…、恐るべし!

城中では、
「宇宙人ならば関係ないか…」
と、みょうに説得力のある解説をする向きもあったのだが…。

将軍就位のさい、強力に後援(バックアップ)したヒヒ爺ぃの水戸光圀(正統保守派長老)などにいたっては、昔のことは忘れたふうで、綱吉に数十枚の犬の毛皮を送りつけるほどにこの生類憐みの令を憎み、この頃では露骨に次期将軍の選定に入る始末であった。

しかし、側用人にして、先頃老中格にあげた側近・柳沢吉保の情報のみしか信じない、かたよった政をやめようとはしなかった。

くどいが、やはり本人だけは感じない!恐る…、恐る…、恐るべし!

世は乱れた。

仕事にもつかず遊び暮らし、金がなくなると年寄りや女子供に引ったくりを仕かける若者が出始めた。

小金賭博(パチンコ?)にうつつを抜かし、乳飲み子をほったらかして死なせてしまう親が出始めた。

悪者を取りしまるのが役目の町方同心(刑事・警察官)の中にも不心得者が出始め、悪徳商人や医者から賄賂を取り、まじめに働く人びとを泣かせた。

将来への望みを失った者たちの首くくりが増え始めた。
それこそこの状況を好機とばかりに、ありとあらゆる犯罪が発生し始め、まじめな庶民は泣き暮らし、自暴自棄に走る者が増え始めた…。


「善八とやら、いまの世の中はどんな塩梅(あんばい)なのじゃ?」
との行者からの問いへの、長々とした話しが終った…。


桃太郎 行者役子角.jpg


善八から話を聞き終えた行者は、いまの世には相当理不尽なことがまかりとおっている、ということがやっとわかってきた。

「ウーム…、わしがつかわされた意味がわかってきたわい…。

元々アホであることを自覚していなかった、実態社会音痴(世の中の真実を知らないボンボン)の綱吉がアホな政令を出して、特異な家庭環境がアホな拍車をかけて、アホな役人がシャカリキになって、色んな理不尽がまかりとおるアホな世のなかになってきたというわけか…。言わば、アホの大売り出し(バーゲンセール)じゃな…」

と言いながらも、
「ここぞ、という目立つ活躍が必要なときに手助けしてつかわす。わしはチョッと昼寝するから用があったらこの扉をたたいてくれ」
と横になって、たちまちいびきをかき始めた。

善八と太助は第三の扉から外に出てふり返ると、出てきた扉はただの落書きになっているのだった。

それからというもの、行者は中の蔵の第三の部屋に住みついてしまったのだ。
時おり仕世堂に顔を出しては焼酎をねだり、町なかにふらっと出ていく程度で特に何かをするわけでもない。

もっとも行者としては、目立つ活躍のための体力温存の時であったのだが…。

「ま、悪さをするわけじゃないし、さわらぬ爺ぃにたたりなし、ということでしばらくほおっておくか」
と、善八はつぶやいた。
続く
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