『小さな角』のつぶやき…
さて、勝って兜の緒を締めよ、じゃないが、帰りが肝心だな。
まだまだいくつもの試練が待ちうけていようが、皆の力を結集して踏んばれはきっとうまくいく!
それにしても、雷光加熱器(電子レンジ)で過熱し過ぎたような頭を持つ役人がアチコチにいることよ…。
税金返せ!と言いたくなるのもわからんじゃないな。
しかし、また何やら変てこな影がうごめき始めたようだな…。
(トッテモ、心配!)
弥勒菩薩様は、変てこな勘違いはお控えになった方が…。
(チョット、心配…)
一 第一次海戦『南沙諸島沖の戦い』!
六月十日の未明、作戦を終了した男たちを乗せた『鶴港(かくこう)』と『呂宋丸(ルソンまる)』が静かに淡水を出港した。
港に残る男たちと呂宋丸に乗った男たちに、鶴港の船べりから子供たちの声が響いた。
「おじさんたち、ありがとうっ」
「皆、無事に父母のもとに帰るのだぞ」
男たちが大きく手をふり返すなか、二隻の船は分かれていった…。
淡水から鶴港が出港してしばらくしたころ、
「これ以上こき使われたらブッコワレテしまう。お京さんにも会いたいし…」
と、行者は一人で長崎へ飛んで帰っていった…。
長崎に待機していたお京が、江戸に向けた鳩を放したあと行者に告げた。
「お奉行から届いた南海のお二人への礼状を私がお預かりしてまいりました。
鎖国の御法があるゆえ私から届けてもらいたいとのことで…」
お京はさっそく例の衣装にきがえると、たちまち成りきって、
「エンノ字、仕事だよ!」
と、唐人屋敷奥の座敷でのびていた行者に声をかけた。
「ヒェッ!」
(どこにいてもこき使われる、地獄だ!デモナンカウレシイ…)
そして、唐人屋敷の上空にまたピシッ、ピシッ、という音が聞こえると、
「ヒーッ!」
という声がしていたが、すぐに聞こえなくなった…。
夕刻。お京たちは、南沙諸島の小さな島影をのぞむ比律賓(フィリピン)のバラバク島の上空にさしかかると、眼下に帆を休めている呂宋(ルソン)丸を見つけた。
同時に、少し離れた島陰に停泊しているあやしい南蛮船の姿にも気づいた。
その船は、墨西哥(メキシコ)から運搬してきたガラクタに近い雑貨を、法外な値で売りさばきながら牙島に向かい、戻りには子供たちを墨西哥(メキシコ)に連れ去る海賊運搬船だったのである。
お京は呂宋丸に降り立ち、能勢頼相(のせよりすけ)からあずかった書状を取り出した。
「山田様、今井殿、このたびはまことにお世話になりました。これは、江戸の南町奉行能勢様からお二人にあてた礼状でございます」
書状には次のようなことが書かれてあった…。
「公儀の祖法『鎖国令』のために苦労しているにも関わらず、この度そなたたちが合力(ごうりき)してくれたことに心より感謝しておる。が、表向き今は如何ともしがたい。しばらくは、『りふじん堂』の皆と談合して、しかるべき融通を利かせよ。今はそれしか言える力しかわしにはない。不甲斐ないわしを許せよ。皆、つつがなく暮らすよう…、云々…」
二人は書状を巻きおわると配下に回した。そして、一同は江戸の方角に向かってしばらく頭を下げていた。
一同が頭を上げるの待っていたお京が話した。
「ところで、子供たちを遠い異国につれさる西班牙(スペイン)運搬船がとなりの島陰に碇を下ろしているのを見つけました。退治できませぬか」
その夜の五つ(午後八時)になる頃、泰和(たいわ)衆が操る短艇(ボート)が暗やみにまぎれてこぎ出し、遠まわりして沖あいのほうから静かに海賊運搬船に近づいていった。
一方、陸地側から、今井壮九の配下が櫓をこぐ短艇(ボート)が運搬船にこぎよっていった。
短艇が運搬船の近くまでくると、松明の明かりのなかでお京が柬埔寨(カンボジア)の舞をはじめた。それは妖しくも美しい舞であった。
そしてその玄妙(げんみょう)さをぶちこわすように、行者がチンドンヤよろしく、ヘタクソな手つきで鉦(かね)や小太鼓をたたくのだった。そのかたわらには大きな銅鑼(ドラ)がすえられている。
甲板での酒盛りで酔っぱらっていた海賊たちは、そのチグハグな短艇の舞に気づき、陸地側の舷側に集まって、かん高い声を発してさわぎ始めた。
そして、行者が発する雑音をまったく無視した幻想的な舞に吸い寄せられた。
その頃、沖あいから静かにこぎよせた短艇が海賊運搬船の碇綱(いかりづな)に近よっていった。そして、男たちが次々に船に侵入しては物かげに隠れた…。
行者の鉦(かね)が高調子(たかちょうし)になり、壮九が大きく銅鑼を鳴らした。
「チャンチキ、チャンチキ、チャンチキ、ジャーンッ」
その時、お京と行者の姿がかき消えたのだった。そして、船の艫(とも)にお京の姿が現われ、また舞をはじめた。海賊たちは、
「オーッ」
と、お京めがけてドドッと走りよっていった。そしてまた鉦の音が鳴り、銅鑼がジャーンッと響くとお京の姿がかき消え、今度は船の帆柱の見張り台に現われた。また海賊たちは、
「オーッ」
と、帆柱めがけてドドッと走りよっていった。
その間に、銅鑼を配下の一人に託した壮九たちも船に忍びこんでいった。
海賊は、船上のあちこちに、現われては消えるお京と行者の姿を追いかけ続けた。
「チャンチキ、チャンチキ、チャンチキ、ジャーンッ、オーッ、ドドッ…。チャンチキ、チャンチキ、チャンチキ、ジャーンッ、オーッ、ドドッ…」
なんともアホな光景がくり返されるなか、泰和衆が発煙薬を仕かけていった。
酔っぱらった海賊たちがゼーゼーと息切れを始める頃、船のあちこちから煙が出はじめた。
「敵襲だ!」
と船長が叫んだとき、海賊たちは泰和衆に囲まれていたのだった。
「それそれっ」
とくりだす山田信政の短槍に、海賊たちの剣ははじきとばされた。
「ヒュン、ヒュン」
とのぶきみな風きり音がひびくと、生き物のように思わぬところからおそいかかる壮九の鎖鎌に先込式鳥銃(マスケット銃)がつぎつぎにからめとられていった。
うす衣を脱ぎすてたお京は、例の露出度の高い忍び袷(あわせ)をまとい、凶器となる踵がついた忍び草鞋(かかとがついたしのびわらじ(ハイヒール))をはいていた。
「キエッ、キエッ」
その美しい脚が旋回し、短い気合が海賊たちの中ほどを通り抜けていくと、海賊たちはバタバタと倒れふしていくのだった。
行者はそのお京の姿を、熱っぽい眼差しで追いかけていた。
「お京様っ…」
随喜の表情で、泡をふいてひっくり返ってしまった。
行者はさておき、半刻(約一時間)ほどもすると甲板にはぐるぐる巻きにしばられた船長と、数珠つなぎに手をしばられた海賊たちがすわらせられていた。
「この船長は日本と阿蘭陀(オランダ)の外交手当てに役に立つかと思いますので、長崎に連れてまいることにします。あとはおまかせします。
エンノ字、寝てんじゃないよ!」
お京にけとばされた行者が、目をさました。

猿ぐつわをされ、椅子背負子(大和ラクラク便)にしばられた運搬船の船長を伴った行者が、天空のかなたに飛び立っていった。
ややあって行者が姿を現わした。
「商館長(カピタン)殿に事情を説明して、男を預けてまいった」
この船長を出島に連行したことが、後に大きな幸いをもたらすのである…。
「では、お名残りおしゅうございますが、改めておさらばでございます」
呂宋丸の男たちが手をふるなか、お京と行者が天空に浮かぶとその姿がかき消えた。ピシッという鞭の音と、苦悶(随喜?)の悲鳴を残して…。
「ヒーッ!」
続く

