2020年05月26日

二 第二次海戦『尖閣諸島沖の戦い』!

二 第二次海戦『尖閣諸島沖の戦い』!


六月十六日、早朝。
鶴港が伊良部島を訪れて謝礼をわたして謝意を述べると、鶴港は那覇に向かった。

同じ日の正午頃、鶴港を追って百連壇の二隻の快速船が基隆を出航した。
『定炎(ていえん)』と『鎮炎(ちんえん)』である。

これを知った翔竜は文を書き、再び太助が残していった鳩に託した…。

翌日の早朝、鶴港は那覇港に碇をおろした。
日が落ちると尚栄、宗兵衛と本郷武蔵の三人は薩摩衆の目をあざむき、首里城に尚貞王(しょうていおう)を訪ねた。

「このたびの王様のご助力に心からお礼を申しあげます。琉球の民に分けあたえて頂きたく、ご笑納頂きますよう」
と多くの財宝の目録をわたした。

「もはや行くか、名ごりおしいのう。いつの日にか、この国にあつかましくもいすわっておる薩摩の者どもを追い出したいものじゃ。そのおりは手助けしてくれよ」
と、尚貞王は悲しげに会見をむすんだ。

三人は平伏したまま、顔を上げることができずにいた。
尚貞王が広間を去ってしばらくしてやっと顔を上げ、重臣に品々をわたして首里城をあとにした。

「尚栄、くやしかろうのう。が、今はわしどもにも何もできん。今は耐えて子供たちを江戸まで運ぶのだ」
との宗兵衛の言葉に、尚栄は改めて心に誓うのだった。

(他国に蹂躙されている民の苦しみはいかばかりか…。
なんとかして薩摩衆を追いだしたいが、気を使いすぎる公儀役人と、実情にまったく無知な将軍では、いかんともしがたい。
しかし、そのうちかならず追いだしてやる!)

宿にもどってしばらくすると、唐突に武蔵が宿を出ていった。

「ちょっと出てくる。遅くなるやもしれぬ」


その昔、宇喜多秀家が薩摩に寄寓したおり、秀家の家臣である武蔵の養い親である本郷伊予と、小西行長の家臣大谷中介という者が島津家に仕官した。

中介は儒者であり薩摩衆を指導した。
その孫、忠兵衛も大きな尊敬を得ているのである。
歴代の島津家主君も、その昔同陣営で徳川と戦った宇喜多、小西の遺臣をあつく遇した。
武蔵は、忠兵衛が琉球郊外に隠棲していることをかねて知っていた。

「大谷殿、薩摩衆の目に余る琉球衆へのふるまいを、おさえてもらえまいか」

「そなた様は、本郷伊予殿に育てられた、秀家様と行長様のわすれ形見のお子でありましたか…。わかり申した、できるかぎりのことをいたしましょう。
殿様にも一筆書き送っておきますゆえご心配なきよう」
と受けあってくれた。

「ただいまもどり申した。出発を日のべしてしまい、まことにご無礼つかまつった」
と、皆が待つ宿に帰ってきた武蔵が皆に頭を下げて、尚栄に耳打ちした。
尚栄は深々と頭を下げ、武蔵の杯に泡盛をそそいだのだった…。

那覇出航が一日のびたことが幸いした。

「日のべしたおかげで、淡水からの早文を得ることができました。
どうやらわれわれの後を、百連壇の二隻の船が追ってきているようです。
その船には旧式の大砲しか積んでおらぬようですが、鶴港は商い船で戦いには不向きであるうえ、多くの子供を乗せておりますので乗り移られるとやっかいです。
乗船している百連壇と海賊の幹部たちの名もあるところを見ると、討ち入りの時にはくたばっていなかったようです。
ここは子供たちの安全を確保したうえで、百連壇の船を沈めてしまう工夫がいるかと思います」
と翔吉が、皆にはかった。

しばらく考えていた宗兵衛が、
「尚栄さん、別れたばかりで心苦しいが、伊良部の皆さんのお力をおかりしてよろしかろうか?」

「このたびの討ち入りでは活躍の場が少なかったと言っておりましたゆえ、力をかしてくれましょう」

鶴港は伊良部島にもどり、子供たちをかくまってもらって準備をすすめた。
翌朝、沖合いを何も知らぬげに航海していると、海賊船の定炎と鎮炎が現れた。
二隻には西班牙(スペイン)海賊と百連壇の幹部八人が、多数の手下を引き連れて乗り込んでいた。

鶴港に気づいた二隻が、尖閣諸島の大正島の南で急速に接近してきて、その勢いのまま鶴港に突っかけてきて、旧式大砲を撃ちかけてきた。その威力は何ほどでもない大きな音だけのこけおどしであったが…。

それでも鶴港は、おじけづいたふりでヨタヨタと大正島の周囲を逃げまわり、海上に長くのびた岬の向こうに逃げこんだ。

男たちが舷側に集まり始めるのが見えた。そして、青龍刀やら蛇棒(じゃぼう)などの恐ろしげな武器をもち、渡し板や帆桁(ほげた)から垂らした綱などを準備して、大声をあげて威嚇してきた。

両側から挟みこみ、今にも船をよせて切りこんでくるかに見えたとき、鶴港は急減速して二隻の間にはいり込んでいった。
翔吉が合図した。

「放てっ!」

甲板の両舷にすえられた五門づつの大砲がその覆いが取り払われて、一斉に火をふいた。敵の大砲とはその威力が数段勝る新式の阿蘭陀(オランダ)製大砲である。
わずかな距離を水平に発射された砲弾は、一発もはずれることなく海賊船に大きな穴を開けた。

舷側に集まっていた男たちははじきとばされた。
定炎は、被弾した帆柱がメリメリッというぶきみな音をたてて舵にたおれこんで、動きをとめてしまった。

鎮炎は喫水のわずか下にあいた大穴から浸水して傾いていき、動きが弱まっていった。
そこに、岬のかげにひそんでいた伊良部衆の飛龍船(ペーロン船)部隊が姿を現わして、一斉に火矢をはなった。二隻はたちまち炎にくるまれていった。

船の男たちは火を消しとめるのをあきらめて次々に海に飛びこみ、船の破片に取りつくのが精一杯のありさまであった。
そして、三回目の一斉砲撃で海賊船はその動きを完全にとめ、炎と煙を発しながら沈没していった。

鶴港は、船の残骸にしがみつく海賊たちをしり目に、伊良部衆の二度目の見送りを受けて長崎への航海を再開したのである。

やがて、海賊船が発する煙を遠くに見つけたお京と行者が鶴港に合流した。
続く
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posted by ぷんぷん at 10:44| Comment(0) | りふじん堂・桃太郎奇譚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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